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森繁久弥さんがなくなられました

10日朝 森繁久弥さんが 亡くなられました
映画 TV 舞台 そして歌 いろいろなジャンルで大活躍をされた昭和を代表する俳優でした

御年96歳 いわば大往生です

森繁さんは 私の高校の大先輩 
お会いしたことは無いけれども 学校にも何度もこられ同窓会の総会にもゲストで主席しておられました

学校の同窓会会館の地下の美術展示室に 森繁さんの書が展示してあったのを写していました
ご自分の言葉で書かれた詩で とってもいいのです

「海の若者に捧ぐ」 1991年の書です
クリックでもう少し大きくなります

森繁さん書

読みやすく書き直しました
私たちの学校は街中にあり海辺ではないのですが・・
詩は 前に作っておられたものかもしれませんね

森繁さん書2

2001年6月にも学校に来られて 在校生達と交流されているのです
そのすこし後の7月に私たちの期が学校で同窓会をしたのですが 駅から乗ったタクシーの運転手さんが 「この間 モリシゲがきていたよ」って言っていました


森繁さんは子供の頃 甲子園球場の近くに住んでおられたのです
正確に言うと 甲子園球場建設中の頃です

小さい頃から海が好きで 母が読んでくれたロビンソンクルーソーを気取って嫌がる子犬を無理やり小さな手作りの船で漕ぎ出したものの二,三分も行かないうちにバラバラに壊れ命からがら岸に泳ぎ着いた 六稜会報より引用



その海は甲子園浜です

近くには 作家の佐藤愛子さんもおられ 愛子さんのお兄さんと遊び友達だったそうで 小説「血脈」に旧姓の菅沼と言う名前で出てきます

森繁さんは ヨット乗りでした 加山雄三さんよりももっと前のことです
そのヨット「メイキッス号」はたしか西宮ヨットハーバーが母港だったと聞いています
そのあと  巨大なクルーザーを建造するのですが 沼津から西宮への航海中に嵐で大破するのです

この書を見ていて思いだしました
同期に酒造会社の社長がいるのですが その会社が同窓会用にプライベートブランドの酒を造ったのですが そのラベルも森繁さんの筆でした
新酒利き酒会をしたときの写真です

六稜利き酒会

学校を愛して 学校や同窓会からの求めにはいろいろと応じておられる方でした

私が心に残っていることは 直接聞いたのではなく 同窓会誌で読んだのですが いつ頃か 自殺がはやったことがあった頃 学校が生徒達に何か自殺を思いとどまるような話をしてもらえないかと依頼したのです で 東京からやって来られて生徒達に話されたのです

「キミがいま15歳だとしよう。15歳。人間が15歳まで生きていくまでに、大体どれだけの人間が動員されたと思ってるか、キミたちは?」…講堂で大演説をブチましたよ。そしたらいろんなコト言うんです。
「5,000人です」
「200人かな」
「500人でしょ」とか…。

 ナント、簡単に言っても20万人くらいは動員されてる。そりゃそうでしょ。子供が生まれるまで…いろんなもの食べさせて貰って、その栄養のつくものは一体誰が取って来たと思うンだ。そういうように、関係がありますよね…漁師でも農家でも何でも。それを食べて、それを運んできた…それを炊いたお母さんもいる。アンタたちが着た産着なんかでも、実はインドあたりからいい木綿を送ってきて、インド人も動員されているだろうし…ともかく20万人くらいは、あなたが15歳を迎えるにあたって動員された人間の数だ。そのお世話になった人々に対してあなた方は生きていく責任がある それが世の中のルールです そう言ったんです。六稜会報より引用



この話には後日談があり その夜東京に帰ったあと 生徒が訪ねてきたのだそうです
自殺を考えていたけれど 話を聞いて思いとどまったといったそうなのです

これを読んだのは もう随分と前(1990年)ですが 心に残っています
分かりやすいいいお話しをされるかただなぁとおもいました
これを書くに当たって会報のバックナンバーを探しました

森繁さんの映画は 何本みたかな と言う程度なのですが 記憶に残っているのは
「暖簾」と言う映画
淡路島から出てきて大阪で昆布屋で成功する男を主人公にした山崎豊子さんの自伝的同名小説の映画化でした
森繁さん扮する昆布屋主人の息子の中学生が制服姿で校歌を歌うシーンがあるのですが この中学生を森繁さんは旧制北野中学生にして 校歌 六稜の~~を歌わせているのです

ご自身は 中学時代に落第をされているのですが とっても学校には愛着を感じておられるようでした

もう一本は 創立100周年記念に市民向けのイベントで 映画とバイオリン演奏と言うのがありました
母と二人で行きました
バイオリンは 辻久子さん 
自宅を売って購入したと当時話題になったストラディバリウスでの演奏でした
映画は やはり当時大変話題になり流行語にもなった「恍惚の人」
まだ 老人問題などずっとずっと先のことで 全く考えてみたことも無かった私には大衝撃の映画でした

舞台は見ていないのだけれど 森繁劇団の旗揚げ公演「佐渡島多吉の生涯」は TV中継で見たことがあります
大阪を舞台にした織田作之助の作品で 四ツ橋のプラネタリウムが大好きで 星空を見ながら死んでいくというのが最終場面だったように覚えているがいい作品でした

なんだかとりとめの無いことを書き連ねました

同窓会の公式HPでは追悼ページをすばやくつくっています こちら 

森繁さんのご冥福をお祈りいたします

加藤登紀子さんの歌で「知床慕情」です




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 こころにしみました

たくさんの人の世話で 生きてきたこと あらためて思いました。
大事に 生きていきたいと思います。

小紋さんへ

いいお話でしょう
私もこの話を読んだとき 胸にズキンときました
若い人のことを思っている人でした

間接的にいろいろな人の手をかけているのですよね

昔からお蔭様で とよく言いますが このことですね
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TOSSY

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